zombie-lady
ボクは、どちらかというと、他人に迷惑さえかけなければ、歩きスマホやってもいいじゃん派のスマホゾンビ容認の立場を取ってる人間である。歩きスマホ者に対して、ことさら目クジラを立てる人をみて、そういう人はさぞかし神経が磨り減って大変だろうな、とむしろ気の毒にさえ思う。多分ボクは外を歩いている時は、注意散漫なところがあるので、ゾンビがやってきても軽快に避けることが出来るから、街行くスマホのヘビーユーザーをあまり気にしないのだろう。

さて、ボクは、ここ数年来、一つの謎を抱えている。
「スマホゾンビの人々は、スマホの一体何に夢中になっているのだろう」というものだ。
例えば、google playのアプリランキングを見る限りでは、ゲームとライン等の通信系アプリが圧倒的に上位を独占しているようだ。なんだ、ガラケーからスマホに移行した所で、やっていることは大して違わないじゃないか、という気がする。そういえばつい最近、信州大の入学式で学長さんが(多分、学長だったような・・・)下記ようなの発言をして話題になっていた。

『「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」 スイッチを切って、本を読みましょう。友達と話をしましょう。そして、自分で考えることを習慣づけましょう。自分の持つ知識を総動員して、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな信大生を育てます。』

スマホって、そんなに学業の邪魔になるんだろうか。信州大に合格するようなユーシューな学生さんは、学業は学業できっちりやるような気がするし、むしろ学業にうまくスマホを活用するに違いない。
例えば、ゲームと通信と、それからお気に入りのサイト閲覧、あとは2chとか。それから音楽と動画。それらコンテンツをスマホに向ってる時間割から取り除いたら、何が残るんだろう。いやそれらコンテンツがスマホのほぼ全体像なのかも知れない。つまりボクが「ゾンビスマホの謎」で抱えている問題の核心はここら辺にあるかも。いやホントにみんな、スマホで何やってるの?

ただ言えるのは、結局目覚しいデバイスの進化があったにせよ、ガラケーからスマホに変わったからといって、根本的に物凄く重大な革新が起こったワケじゃないんだ、という諦念にも似たガッカリ感があるということ。つまり、所詮は文字と画像と音による官能以外のSomething Newをスマホが提供しているワケじゃない。ボクはまだガラケーを使っているときに、スマホヘビーユーザーを街中で見かけたときに、彼らは、Something Newに触れているんじゃないかな、という気がしてちょっとワクワクしていた。今考えたら、ちょっと阿呆らしいテクノロジー幻想で我ながら恥ずかしいが。

最近、図書の分類法に関する資料を目にする機会があったのだけど、メルヴィル・デューイが考案した図書分類法(もちろん他の分類法もあるようだけど)というのがあって、それは1876年に初版が出版され、現在でもそれが数年に一度改定され、国際的に使われているそうだ。改定されているとはいえ、「知」は突然新しいものが生まれるわけではなく、デスバレーの動く石のごとくジワジワと流動していくのだろう。

二三週間前のことだが、5年ぶりくらいにFAXを使った。ずっと使っていなかったし、買った時から幾分接触不良の気があるFAXだったので、初めて使った時と同じくらいヘンな緊張をしてしまった。実は自分が使う事情があったワケではなく、妻がある書類をFAXで送るように、とある会社に言われたので送ったのである。妻のこれまでの人生においてFAXは無縁だったらしく、送信紙も付けずにダイレクトに送ろうとしていたので、突貫でボクは送信紙を用意してあげると、いたく感心してくれた。

果たして、どうなんだろう。今でも送信紙なんて、本の表紙のように、律儀に最初の一枚に添えるものなんだろうか。こんな取るに足りない問題で、いささか不安になり、後でネットで検索してみると、昔は手作りが基本だった文化の「送信紙」は、現在では当たり前の商品となって、大手文具メーカーから、ちゃんとラインナップされているはないか。ただこれはネットでこういうものもあります、というカタログみたいなものだから、どの程度普及しているかは分からない。こういう時、普及しているかそうでないかを知るバロメーターが、100円ショップだ。そこにもし「送信紙」があるとすれば恐らく、潜在的な需要はかなりあるんだろうな、と推察できる。今度100均に行ったら、チェックしてみよう。

FAXの送信紙で思い出したが、昔は当たり前だったことが縁遠くなり、むしろ新鮮に感じることがある。例えば駅のお知らせのアナウンス。先月だったか、駅で待ち合わせをしていたら、「埼玉県からお越しの○○さん、××さんは15分ほど遅れるそうです」というアナウンスがあったのだ。元々携帯電話を持っていないのか、それとも電池切れなのか、待ち合わせの改札口から大きな声で聞こえるメッセージは、待ち人にとってとても誠実な情報に感じられたのだ。駅のアナウンスなんて、昔は当たり前の事だったのかもしれないけど、今聞くとなんだかとても贅沢で、その一瞬は昭和に時代がタイムトリップしたような懐かしい気分になった。

そうだ、駅といえば、昔、代々木駅で落書き対策として「落書きボード」が設置されていたものだ。初期は予備校生などによる合格祈願や励ましなどのコミュニケーションが行われたようだけど、次第にアニメやマンガのキャラクターなどの落書きが多く見られるようになり、いつの間にかボード自体がなくなってしまった。調べたら1980年代から1990年頃までのことだったようである。当時、ボクは通学で山手線を利用していて、車窓から代々木駅のそのボードを見るのがなんとなく楽しみだった。当時の落書きたちは、今どうなっているんだろう。とっくに廃棄処分になっているのかも。もし残っているならちょっと見てみたいなあ。

さてさて、スマホゾンビの次に現れるのは、どんなゾンビなんだろうか。