チョココロネをさがして(by オンガク猫団)

トースターが、チンと鳴ってタイマーが切れた後に数十秒「ジーーーーーー」と音を立ててゆっくりと無音に向かう余韻の時間が好きなんです。このデジタル漬けのご時世に、タイマーがゼンマイ式.というのもイイじゃないですか。ボクは、チョココロネを食べながら、そんな「余韻」の時間のことなんかをボーっと考えるひと時に、ささやかな幸せを感じるのです。

2015年08月

b
賑やかな階下の住民が引越した。彼らは三人家族で、先月7月一杯で慌しくこのマンションを去ったのだ。ボクら夫婦の住んでいる3階の真下に当たる20X号室に、彼らは住んでいた。

小学3年生くらいの女の子が一人。奥さんは30代後半で、何かに怯えるような眼差しで挨拶をする。すれ違った時、一目で分かるほどアトピーを患っていて、いつも猫背で早足で歩く。旦那さんは、奥さんと同年代で、ガス工事の請負の会社に勤めているという話だ。それは、このマンション入居時に大家の婆ちゃんから聞かされた情報である。小柄な体格に見合わず、ひと際でかい声を出す80代の大家の婆ちゃんにとって、プライバシーという概念は恐らくない。

三人家族は、引越し準備期間中、深夜に家具を引きずる音を出したり、時折乱暴に壁を叩いた。引越し以前にも、物騒な夫婦喧嘩の怒号もあったし、ポルターガイストのように部屋の何かが飛来し激しく床に落下する音や、不機嫌に部屋のドアをバタン閉める耳障りな音も聞こえたこともある。明らかにボクらの静穏権が侵害されていた。突然夜中の11時過ぎに、子供がリコーダーを吹くこともあった。ボクら夫婦は顔を見合わせて「あ、笛の音。また例のヤツが始まったかぁー」と落胆したものだ。小学校の授業で教わる、いかにも音楽の教科書に載っているようなありきたりの児童向けの曲だ。もしかしたら、妖怪ウォッチとかその手合いのアニメの曲だったのかも知れないが、曲名は分からない。

一度吹き始めたリコーダーは、直ぐには鳴りやまず、1時間くらいぶっ通しで、しかも切れ切れに同じフレーズを吹く。下手クソでメロディーは覚束ないし、同じフレーズの為に、ボクらは魔の旋律ヘビーローテーションに陥る。騒音をやり過ごしたいのに、むしろ強固に意識してしまい、そのいびつで幼稚なサウンドにボクらの耳が囚われて翻弄された。その間、他の事が手につかなくなり、大して観たくもないテレビのニュース番組のボリュームを少し大きめにしてつけたりしてやり過ごす。

とにかく喧しい家族だった。恐らくその女の子は、家庭内の複雑な事情が、息苦しくて大分ストレスが溜まっていたのだろう。ちょっと不憫には思うけど、夜中にリコーダーを吹かれるというのは相当気分が悪い。

8月になり、三人家族がいなくなった今は嘘のように長閑になった。まるで、台風一過のように階下は静寂に包まれている。台風といえば、去年の秋ごろに台風が来て、その階下の部屋が雨漏りをして大騒ぎになったことがある。拙宅に雨漏りの手がかりがあると睨んだ大家お抱えのリフォーム業者が、数日間拙宅に押し寄せた。原因究明に床に30cm正方の穴を開けたり、エアコンの室外機の排水ホースのパテを上塗りしたり、ベランダのコーキングを派手にやっているうちになんとか雨漏りは収束。結局、決定的な原因は不明だったが、大家とその家族は家賃を巡って少し揉めていたようだ。雨漏り騒動は、三人家族にとって大家との折衝の強力な切り札だったのかもしれない、と今になって思う。

後日、拙宅に迷惑をかけたことで、ボクらへ大家の婆ちゃんが挨拶に来たいといって電話があった。そういう堅苦しいのは御免なので固辞したが、ごり押しされて渋々了承する。婆ちゃんがやってくるというその日、ボクらはたまたま野暮用で出かけていたので、結局会えなかったが玄関のドアノブにスーパーの白いレジ袋がだらりとぶら下がっていた。大家の婆ちゃんの仕業だ。あの歳で、わざわざここまで歩いてきたワケだ。足が悪いのにご苦労様。

袋の中に入っていたのは、悄然とした6個のハウスみかんだった。なんだみかんだったのか。なるほど。大仰に挨拶に来る、というので、てっきりどこぞの老舗の菓子折りか何かを持参してくるのかと思っていた。なんの変哲もない普通のみかんが、酷く申し訳なさそうにレジ袋に入ってるのを見て、沸々と笑いが込み上げてくる。これじゃあまるで、学生時代の差し入れみたいじゃないか。部活かよ。子供の駄賃じゃあるまいし…。その後、少ししてから大家の婆ちゃんからボクの携帯に電話があって、少しだけ話した。

手土産であるみかんは、婆ちゃんが長年行きつけにしているお気に入りの果物屋のみかんであるらしい。それがいかに特筆すべきみかんなのかを大声で力説していたが、ボクは笑いを堪えるのに必死だった。みかん6個にしては、随分ご大層なプレゼンだった。後日、そのみかんをボクら夫婦で有難く頂いたが、呆れるほど本当にフツウのみかんで、実際本当に呆れた、といってもいい。だが、大家の婆ちゃんにとっては誰に恥じることのない値千金の「千両みかん」なのだ。

三人家族が引っ越しをする前、その奥さんは、ママ友達とマンションの1階の玄関付近で、ほぼ毎日井戸端会議をやっていて、しかもやりだすと1時間くらいオバサン達の騒がしい噂話が3階の拙宅までよく聞えてきた。ママ友は3人の時もあれば、2人の時もある。買い物かごをマイバッグでパンパンにした電動アシスト自転車を傍らに停めて、取りとめのない主婦同士の不毛な会話が続く。

昨今、ママ友いじめを苦に自殺も珍しくない世の中だ。奥さんは奥さんで、家庭外と家庭内でやりきれない諸事情があったのかもしれない。ともあれ毎日井戸端会議をされるこちらとしては、うるさくて閉口した。三人家族の引っ越しは、それら一切合切を葬り去ったのだ。願わくば、次にその部屋に住む住民が平穏な人たちであって欲しいと節に思う。

8月の中旬の週末、いつもより少し遅めの起床をして寝起きの頭でボーっとしていると、誰もいないはずの階下から、あの下手クソなリコーダーの音が聞こえてきたのだ。ボクは一瞬耳を疑ったが、隣で寝ているボクのワイフを揺さぶり起こし、階下を指して「リコーダーの音聞こえる?」と小声で訊いた。寝ぼけ眼のワイフは、やにわに覚醒し「あ、聞えるねぇ」と応える。いるはずのない女の子が、まさに今、階下でリコーダーを吹いているのだ。

「ひょっとして、女の子は引っ越ししたくなくて、生霊がまだ住んでいるのかも」ボクはワザと深刻な表情を作って見せる。というか少し怖がりのワイフを悪戯で、脅かそうとしてしていたこともあるーーー。けれども一体、この笛は誰が吹いているのか? ボクは理解に苦しんだ。

意外にもワイフは落ち着いていた。「もし生霊なら、気のすむまでリコーダーを吹かせてあげたらいいじゃない。きっと夏休み中の引っ越しで、友達にもお別れが言えてないんだよ」遠い目をして、ワイフはそう云う。そして、フェイドアウトするように二度寝を貪り始める。まるで嗜眠症みたいに。ボクは、しばらくの間、得体の知れないリコーダーの音が消えるまで、真っ白な天井をぼんやりとただ見詰めていた。

チッチ
子供の頃、擦り切れるまで愛読していた本があった。小学館の新学習図鑑の「昆虫の図鑑」という本だ。その本は、背表紙が赤とオレンジと黒のトリコロールで本棚に入れて置くと妙に目立つ。フルカラーで印刷された、本体表紙と同じボール紙のケースまで付く。

当時は随分と大きな図鑑というイメージがあって、思い返すとA4サイズ以上に感じていたのだけど、今改めて調べてみると、B5だったことが判明した。なるほど、結構小さかったんだなあ。ボクという人間のサイズが小さかったので、まあ無理もないか。

当時の同年代の小学生は、かなりのシェアでこの本を持っていたように記憶している。この図鑑はシリーズになっていて、比較的リーズナブルな価格の学習図鑑だったので、全巻コンプリートしている子も少なからずいたかもしれない。

昆虫以外に、植物、鳥類、家庭科の図鑑まであって、なんかやかで20冊以上もあった。ボクも昆虫以外に、数冊持っていたが、どれを持っていたかあんまり覚えていない。引っ越しのドタバタで、古いものを一掃したので、思い出ごと消えたのかも。今でもはっきりと思い出せるのが、昆虫の図鑑だ。

ボクが小学3年生の頃の夏休み、その頃は、朝から夕方まで虫捕り三昧の日々だった。ダンゴムシ、セミ、バッタ、ナナフシ、ゾウムシ、カミキリ、カナブン、タマムシ、カブトムシ、そしてクワガタ。捕まえなかったのは、蝶類とシデムシ、オサムシとカメムシくらいのものだ。夥しい虫たちの命が、ボクという捕獲者の餌食になった。子供の残酷さには方図がない。

よく飽きもせず、それだけ夢中になって虫のことばかり考えていたものだと我ながら不思議だと思う。ある種のアディクトで、虫捕りさえしていれば頗るハッピーだったのだろう。

ある日、ボクは家の中で、小学館の新学習図鑑の「昆虫の図鑑」のセミが羅列してあるページを開いて、ボーっと眺めていた。何故そのページを開いていたのか、という問いには歴とした理由がある。近所に生息しているセミは、粗方捕まえてしまってセミ捕りに食傷気味だった。奇貨となるべく未知の珍しいセミをこの手で捕まえて、この目で拝んでみたい。そんな虫情狂のエロい眼差しで、舌なめずりをしてセミの標本のイラストを繁々と眺めていたのだ。

ボクの傍にはオヤジがいて、いつもはボクの読書に無関心なのに、ふいに図鑑を覗きこんで目が釘づけになった。ちょっとただならぬ様子に、恭しく図鑑をオヤジに差し出して様子をみると「うわ、懐かしい。このセミ知ってるぞ。もう最近みないなあ」と感慨深げにそういう。

オヤジがそのセミを最後に目撃したのは、オヤジが小学生の頃だったらしい。ということは、終戦を迎える数年前あたりの話、ということになる。食卓の明かりを目がけて、そのセミが飛んできたのだ、という。

そのセミの名前は、「チッチゼミ」という。とにかく小さなセミで、初めはセミだとは思わなかったそうだ。図鑑には、3センチくらい、という記述があったように記憶している。確かその図鑑にも、数が減少している、という一文が添えられていた。

チッチゼミの名前は、他のセミと同様に鳴き声がそのまま付けられて、チッチ、チッチと鳴くらしい。小さいセミで、「チッチ」っと鳴くなんて、なんてキミは愉快なヤツなんだ!

ボクは、チッチゼミというものに、物凄く興味をそそられたのである。そして、いつかチッチゼミの声を聞くんだ、という夏休みの課題が一つできあがった。

ボクもいつしか大人というものになり、虫捕りを卒業してしまうと夏の間聞こえてくるセミの声は、子供の頃のワクワク感ではなくなり、風物詩のBGMとなってしまった。だけど毎年夏を迎えると、「チッチゼミの鳴き声を聞く」という課題を思い出したり思い出さなかったりする。

絶滅危惧種、とまではいかないようだが、やはりチッチゼミは、今でもかなり希少なセミらしい。

15年位前までは、考えもつかなかったが今はインターネットがあるので割とどんな貴重な生物の情報であっても、動画であっさり見つかる。

昼間、入道雲の立ち込める空の下、散歩をしていたら、セミの鳴き声の音のシャワーを浴びた。外は暑く、よく晴れていた。ふいに、ボクの永年の夏の課題を思い出した。家に帰ったら、動画でチッチゼミの鳴き声を検索しよう。

散歩の途中でたんまり買い込んだ卵アイスをしゃぶりつきながら、PCを立ち上げる。そしていざ、チッチゼミの鳴き声を検索。

なるほど、なるほど。。。。意外とボルテージのある鳴き声である。

学生時代ずっと好きだった女の子と、30年振りに同窓会で会うとこんな感じがするのかも。嬉しいような、嬉しくないような、実に腑に落ちたセミの声だった。蛇足だが、そもそもボクは同窓会に呼ばれることもない。また呼ばれても行かないだろうし、そこまで好きだった女の子もいない。

ボクが理想としていたのは、ホントに小さな小さなセミの声で、どこか厭世的な呟きがあって「ちぇっ、なんかつまんねーなぁ」とやさぐれたトーンで、チャーミングで、ニヒルでシャイなセミの鳴き声だ。勝手に、チッチゼミのそのイメージをボク自身に重ね合わせて、自分の分身を探していたのかも知れないな、とふと気が付いた。

最後に結論だが、ボクはまだ本物のチッチゼミを見ていない。もしかしたら、本物のチッチゼミはボクの理想のチッチゼミと瓜二つかも知れない。ということで、夏休みの課題は続行中である。チッ。

no title
デザイナー佐野氏の件で、同業者として去来した雑感について語ろうと思う。
胸中がもやもやしている今だからこそ、忘れないうちにここにまとめおきたい。あらゆるメディアで、語り尽くされてしまった感があるが、自分自身の覚書の意味で整理しよう。さて、何からはじめようかーーー。

●虚言
濁世には本当の事を言わないヤツが数多くいて、何をいっても信じられない体質が国民に蔓延している。そう、昨今嘘つきは非常に多い。STAP細胞では、一杯食わされたし、ゴーストライター問題では、みうらじゅんのような怪しい風貌にコテンパンに騙された。だからみんな「騙されてなるものか!」という心のモーメントが強固に働く。酷くて度を越しているような嘘が、最終的にはコメディのような後味になる。最近の嘘つきの傾向はまさにコレ。今回もきっとこのパターンだろうな。世間はそう確信しているような気がする。だが、もし、五輪のエンブレムの件で、佐野氏の主張が全て真実だったらどうする?サントリーのトートバックの件で、一度嘘が発覚したら李下の冠という帰結でいいのだろうか。フェアな理性は発動せずに、思慮なく嘘つきを連呼する。いささか短絡的で、随分と雑な沙汰に思えてならない。

●劇場
オリビエ・ドビ氏、彼は一体何を考えてるのか。そもそも劇場のロゴと五輪のエンブレムのどこが競合する部分なのかボクには分からない。形も大して酷似しているとは思えないし、オリビエ氏のロゴ自体に全くセンスを感じないんである。鳥貴族と鳥二郎なら、業態は同じで「完全に真似じゃん!」と言いたくなる気持ちは分かるが。パクリ云々の以前に「劇場」と「五輪」では、初っ端に無理がある気がするのだが、一般的なベルギー人の思考回路がこういモノなんだろうか。オリビエ氏の騒ぎ方を傍観していると、巷に出没するクレーマー臭がプンプンしてくる。ネット上では売名行為ではないか、と中傷する声もある。それに対し、売名してなんの得がある?とオリビエ氏は激しく反論。でもこれだけ駄々をこねたら、良くも悪くもオリビエ氏の名前は口碑に残ること請け合いだ。

●賞金
尾篭な話だが、五輪エンブレムにまつわるお金の話が気になった。その話の前につい最近の五輪関連の話題をおさらいしたい。ホワイトエレファントになりかけた新国立競技場のザハ氏の監修代。あれは一体いくらだったのか。改めて調べてみると返金されないのは13億円だそうである。ボクはしがない市井の人間なので、13億あったら、一体なにが買えるのか考えたくなってしまう。すぐに思い浮かぶのは、一億円の宝くじの13人分。凄い。なんと13人も幸せにできるぞ。うまい棒換算で1千3百万本。一億円なら数年で使い果たす自信はあるが、1千3百万本のうまい棒はボクの胃袋では一生かかっても制覇できないだろうなあ。話が大分脱線してしまったが、五輪エンブレムのデザイン料は100万円ということらしい。佐野氏は今回の騒動のゴタゴタで弁護士やら何やらで、賞金はあっという間に溶けてしまうだろう。様々な見方はあるせよ、13億円と100万円じゃ桁があまりに違うなあ。

●利権
叩きに叩いて佐野氏の「埃」を出すことに躍起になる人が出始めている。男は敷居を跨げば七人の敵ありというくらいだから、同業者の中に敵対する人も一人や二人いるのは当然だ。博報堂の利権、コネなどの疑惑や「身内褒め」体質を分析的に揶揄する内容のブログ、まとめが話題になってきている。「身内褒め」というのは、学閥の先輩後輩の互助会のような体質だ。鼓舞しあい便宜を図る。一般の大学のみならず、美大も例外ではない、という。ボクは美大を出ていないのでこの辺りの事情には疎い。ただ利権に関していえば、この業界に限ったことではないはずだ。少なくともその利権にありつくために、佐野氏も阿鼻叫喚の修羅場や櫛風沐雨の下積み時代があったはずである。癒着の体質はあったにせよ、法に抵触しない限り、一般企業なのだからある程度容認される構造だといえよう。一方で何か粗相があると土下座を強制する同調圧力が、この社会に猖獗している。そんな中、佐野氏は五輪というシンボルの、スケープゴートにされている気がしてならない。そう感じるのはボクの思い過ごしだろうか。佐野氏をバッシングするパッションの源泉に、同業下風の鬱屈したルサンチマンが垣間見えるようだ。強固にバッシングする人たちは、佐野氏に一体どうなって欲しいと望んでいるんだろうか。

●盗用
トートバックデザインの剽窃について。佐野氏を擁護するつもりは毛頭ないが、実務は数人の部下の仕事だという佐野氏の奥さんのコメントはあながち嘘とは思えない。ネットで画像検索して、そのまま無調整で画像を流用するようなイージーなやりかたではそもそもデザインの仕事は成り立たない。まだデザインの現場にパソコンが無かった頃、かつてのデザイナーたちは、アイデアスケッチ(ラフスケッチ)を白い紙に描いていたものだ。今は、アイデアスケッチを描くより早く、パソコンのドキュメント上で、サクサクとアイデアを切貼りしていくスタイルが主流である。切貼りされているオブジェクトは、ネットで画像検索で探した画像(写真やイラスト)、有償で購入した素材の画像も複雑に入り混じっている。ただし、絶対に手違いがあってはならず、借り物のイメージは、最終的にエージェンシーから購入するか、カメラマンに撮影してもらうか、イラストレーターに発注しなくてはならない。このプロセスは死守すべき、大前提のルールなのだが、そのあたりの管理が杜撰だと出所の分からない画像が印刷されてしまったり、webサイトに掲載されてしまう。これが発覚すると、会社として非常にダメージの大きい責任問題になる。瑕疵があってはならない。賠償金も生じるし、刑事事件にもなる。下手をすれば会社の倒産さえありうるのだ。

●手本
ではなぜイメージを剽窃してしまうのか。当たり前かも知れないが、それはお手本となるような美しさがあるからだ。「そうそう、まさにこういうイメージが欲しかったんだ!」というような心地よい配色、バランスのいいフォルム、スタイリッシュな構成。佐野氏のデザイナーとして力量が如何ほどのものかボクにはジャッジできないが、盗作されたイラスト郡は小憎らしいくらいどれもセンスがいい。これは真似したくなる気持ちが同業者のボクとしても分かる気がするのだ。センスのいいものに美意識がフォーカスして、それをピックアップすることも才能だ、とボクは思うのである。そういう意味で、佐野氏は才能がある、という言い方も可能だ。さてそこでオリビエ氏のロゴをもう一度見てみる。残念ながら、これはあまりセンスを感じない。ボクに審美眼があるのかどうかは自信が持てないが、練りに練った逸品とは到底思えない。

●意匠
淵源なテーマであるが、そもそもデザイン(意匠)とはなんだろう。佐野氏のデザインはいいとは評価できないし、悪いとも評価不能だ。業界内では評価は高いが、一般人にはわかりにくいという内輪受けクリエーターの悲劇かもしれない。過ぎたるは猶及ばざるが如し。想像物が難解過ぎるとデザイナーのマスターベーションだと言われかねないし、シンプル過ぎても捻りがないと不興を買う。ただあのエンブレムが感性を極限まで昇華した「こだわりのデザインの最終形」とは到底思えない。闇雲に一般大衆に迎合する必要もないが、「わかりやすさ、直感的に素敵だと思えること」この二つのエッセンスのないデザインは商業的にはNGである。アジアに嫌日ブームがある中で、ただ「日の丸」をモチーフにしたことだけで虫唾が走るような人達もいる。悪戯に事を荒立てるな、と彼らは言うかもしれない。また、センターにあしらった「黒」がネガティブな印象があって好感が持てないという意見もあった。

●独立
博報堂を辞めて事務所を立ち上げる、ということはずっと製作者でありたいという気持ちと、強い功名心と、自分のペースでのんびり仕事をしたいという欲求があったと伺える。会社における不満もあったかもしれない。こういう不況でなにかと困難を伴う時代に独立し、制作会社を興し、真っ当に利益を出していけるいうことは、博報堂時代にコネと約束された仕事と、幾多のコンペで勝てる画然とした矜持があったのだろう。会社の中で評価されることに留まらず、デザイナー佐野というオリジナリティに磨きをかけ、世間にデザイナー佐野というブランドを膾炙したいというほとばしる野心があったに違いない。そういう決心のある者に、イカサマは有り得ないとボクは同業者として信じたいのだ。それにしても博報堂を辞めるなんて、ボクからしたら至極もったいない話である。

●品格
会見における佐野氏のこと。威風のある細い両眼からは自信に満ち溢れ、百戦錬磨のクリエーターならではの口八丁ぶりがちらりと見えた。佐野氏のデフォルトの状態は知る由もないが、他を圧倒するような目力が強すぎて、憤慨しているように錯覚した。日本を代表するロゴを作った人の言葉のセンスに、げんなりしてしまったのはボクだけだろうか。言葉狩りをするワケではないが、公の席で「パクる」という言質は語彙としていささか陳腐で稚拙な印象を持ってしまった。それにしても、佐野バッシングのネガティブキャンペーンはいつまで続くんだろう。一体どの局面で手打ちになるのか。次の「埃」が出るのを虎視眈々と待っているような気がする。

●公募
この事件で「デザイナー」と「アートディレクター」の職域が汚されたといって嘆く人もいるようだが、ボクはそうは思えない。オリジナルで素晴らしいものを作り続けているクリエーターは山ほどいる。コンペのスタイル自体を業界内に限定せず、クラウドで公募するシステムの方が今様で好ましいと思う。それを国民がネット上で投票すればいい。一票を投じる投票者は各々Googleの画像検索等、ITを駆使してパクリがないかチェックするのだ。その際、別の弊害が頻発する可能性もありうる。もしかしたら買収工作もあるかもしれない。好むと好まざるとにかかわらず、否応なくみんなのオリンピックなのだから可能な限りフェアである方が望ましいのではないだろうか。そういう公募スタイルになったとき、既得権で仕事をしてきた業界の精鋭たちの真価が問われるようになるだろう。パクリ騒動に絡み、天網恢恢にしたのは、なんといってもGoogleである。ちなみにGoogleのロゴのデザイン料はゼロ円という話だ。Googleの社員が思いつきで作ったとか。もしも、Googleが自社のロゴをコンペで募集したとしたら、懸賞金はいくら出すんだろうか。気になるところではある。さてさて、ほとぼりが冷めた頃、是非とも佐野氏にしくじり先生に出演して欲しいっすね。多分ボクは観ないけど。
 
 * * *

これまでの経緯をざっと振り返ってみよう。

●7月24日~
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会エンブレムが佐野研二郎氏のデザインで決定したことを発表。同日、瞬く間に「デザイン」がダサいという不平不満がインターネット・ミーム化。2020年オリンピック・パラリンピック招致活動のロゴ(桜をモチーフ)である女子美術大学4年、島峰藍さんの作品を流用すればいいという声高な主張がネット上に氾濫。ベルギー在住のデザイナー、オリビエ・ドビさんがロゴが似ていると主張。またフォロワー数が少ないオリビエ氏の売名を疑問視する声もネット上で囁かれる。

●7月31日
公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が、東京2020エンブレムに関する一部報道についてという見解を公式サイト上で発表。

●8月5日
五輪エンブレム問題 制作者の佐野研二郎氏会見。盗作は全くの事実無根で、「キャリアの集大成ともいえる作品」「世界に類のないエンブレム」と作品の出来栄えに自信を示す。

●8月6日
社会学者の古市憲寿氏が、オリビエ・ドビ氏を「弱小の人」と批判する。オリビエ氏のいいがかりを主張。

●8月10日
デザイナーの梅野隆児氏が考案した東京五輪のエンブレムが急遽注目を集めるようになる。わずか一時間で作成されたロゴは賞賛され、多大な反響を呼ぶ。

●8月11日
サントリービールが2015年7月7日から8月31日まで開催しているキャンペーンのノベルティのトートバッグにデザイン盗用の疑惑発覚。ネット上で動かぬ証拠である「デットコピー」を証明する画像が流布。

●8月13日
サントリービールは13日(2015年8月)、佐野氏がデザインした30種類のうち8種類を賞品から除外すると発表。佐野氏を擁護していた森本千絵氏(博報堂出身)に盗作疑惑が浮上。

●8月14日
佐野氏が8月14日、複写(トレース)があったことを認め、謝罪。日刊ゲンダイの記者からの疑問に佐野氏の妻が答える。「佐野は潔白、実務は数人の部下のやった」という内容に物情騒然となる。オリビエ氏、IOC=国際オリンピック委員会に対しエンブレムの使用の差し止め請求をベルギーの裁判所に告訴。博報堂の利権、コネなどの疑惑や「身内褒め」体質を分析的に揶揄する内容のブログ、まとめが話題になる。

●8月16日
トートバッグでデザインを盗用されたデザイナーの俣野温子氏が、自身のブログで佐野氏に「ご自身に甘い」と苦言を呈す。

●8月18日
アメリカのベン・ザラコー氏、佐野氏への挑戦としてエンブレムを作成し発表する予定。

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